電子書籍に見開きって概念がないの!?

 全ての電子書籍(自炊含む)の閲覧には、見開きっていう概念は存在し得ないのでしょうか。 かなり前のことですが、どこかの電子書籍を買って、ザウルスだっけかな!? で "XDF" ファイルか何かで挿し絵付きを読んだこともありますし、Palm Vx の頃は、テキストを "PDB" に変換して購入した小説を読むのに熱中した頃もありました。 青空文庫から太宰治やら夏目漱石やら本で買って読んだことのない小説も読みました。


 どうも、ボクです。


 この頃は、小説を読むと言うことに熱中しており、挿し絵付きはあまり気にしたことはなく、純粋に小説の内容に熱中していたわけであります。 その後、ザウルスだったと思いますがシャープのコンテンツの中でも書籍が手に入るので購入したところ、挿し絵付きカラーで驚いた記憶があります。 糸井重里氏のモノだったと思います。 だた、この時は純粋に電脳パンツで小説などが読めることに感動し、本で言うところの 1 ページ分しか表示していないことなど気にならなかったのです。 そう言えば、HP 200LX を縦に持ち文庫本を開いたような感じで通勤の往復時に読んでいたこともありました。
 ですけども、それは電脳パンツ達がかなり狭い解像度であったことや "PDF" などを閲覧できるマシンパワーもアプリもなかった頃の話です。 今は、電子書籍リーダと自ずからその名を冠にして販売している機器が増えているわけですが、結局のところ 1 ページ分表示することしか考えられていないのであります。 電脳パンツ君達よりも解像度も良くなり、実際の液晶も大きくなり、数文字しか表示できずに読んでいた小説もほぼ 1 ページ分表示しても読める文字の大きさになっていることと思います。
 でも、現在の紙でできている書籍は見開けちゃうんですよ。 普通の小説書でもパソコン雑誌でも成人誌でも。 だから、見渡しがとてもよろしく、そこが見開きできるところのウリなんですな。 マンガなんかも見開きだから書ける迫力のアクションシーンがあったり出来るでしょう。 また、やったことがないですが、速読する人も 1 ページ表示では多分物足りないか効率悪く速読できないんじゃないかと推測してみたりします。 もうこのまま紙から電子の書籍に移行してしまったら、見開きページなんて言葉は死語となってしまうかも知れませんね。 マンガも「男おいどん」のような、1 ページ毎に区割された礼儀正しい内容のモノばかりが復刻や新規製作されたりするんでしょうか。 なんか、大事にしなければならないモノが、便利だと言われる電子機器の発達により失われつつありそうな気がしてきました。 大袈裟に言うと「見開きページ」以外でも、全然別の分野で電子機器に置き換えられたことによって、大事なことが沢山失われつつあるのではないか、絶滅危惧に頻しているものがあるような気がしてきました。 かつてのようにバターを塗って油性マジックは落とせないにしても、電子書籍でもあのころの輸入雑誌プレイボーイのような迫力ある見開き効果はもう得られないのでしょうか。 実質 2 ページ分の液晶が必要なら Pad 式ではなくなってしまいますもんね。

 Posted and Written by Desire Z