神戸の思い出

 今日は、阪神・淡路大震災から 15 年を迎えたんですね。 震災による遺族や被災者の方々は、辛く悲しい思い出が多いことと思います。 ですが、ボクには個人的に良い思い出があり、それを思い出したので書かせていただきます。 不快な方は、読まないでくださいね。


 どうも、ボクです。


 この震災があった年の中頃から、大阪に転勤となりました。 住んでいたのは「西中島南方駅」から歩いてすぐの淀川近くの「フェザー」看板を乗せた賃貸マンションです。 今もあるのかは判りません。 ボクは元々、東京生まれで東京育ちであり、父は東京生まれですが、母は東北生まれで、関西方面をほとんど知らないのでありました。 15 年という月日は短いようで長くもあり、ボクはまだタバコも吸っていた頃ですし、両親も元気であり、今の状況を迎えるなどボクは夢にも思っておりませんでした。
 そんな関西方面を知らない両親が、ボクの住んでいるところを見たいと言ってきたので案内を兼ねて関西を回ったことがありました。 震災の翌年だったのではないかと思います。 京都は金閣寺を中心とした名所、大阪は道頓堀界隈、そして神戸であります。 神戸港から出る神戸港一周の乗船がメインでした。
 思い出したのは、そんなプチ観光で、新快速で神戸に向かい「三宮駅」に近づくに連れて増えてくるブルーシートの敷地や半倒壊した建物や仮住居のある公園を見て、母が涙していた姿です。 
 ボクは仕事で何度もこの景色を見ていましたが、そういう風に見える人には見えるものなんだなと思いました。 色々な感じ方があるものだなと。 こんな感じで、ボクには良い思い出として、母のことを思い出したので書かせていただきました。