020 咀嚼の理由は何なのさ

 「お食事ゆっくりなんですね」と先日、看護師さんに言われた。 入院するまでは、ボクは決して早い方ではないが早く食べる努力をする方ではあった。 社員食堂で皆を待たせたくないので急いで食べる努力をしていたのだ。 だから、必要以上に噛むことなく飲み込むので体重も増えたクチだとも思っていたくらいだ。 それが、入院してから、ボク自身でも驚くほど「噛んで食べる」ようになってしまった。 気になってはいたのだけれど、改めて指摘されるとその理由が気になって仕方がなかった。


 どうも、ボクです。


 病院食だから量も少ないので、満腹感を得るために自然と「噛んで食べる」方法、いわゆる咀嚼をわざとしている訳ではない。 咀嚼の行為そのものはボクにとっては非常に不愉快極まりなく早く口の中のモノを飲み込みたいという願望を常に持ちながら、朝昼夜の三食と毎日格闘してきているのだ。 入院している病気に対しての食事の制限は特になく(幸い糖尿などもないため)、先生にはカロリーは採ってくださいねとまで言われているくらいなので、暴飲暴食さえしなければ、何を食べても良いのだが実費が嵩むので我慢の子なだけなのだ。 が、昨晩にしてようやく咀嚼しなければならない、その理由が判った。

 昨夜のメニューは、こうであった。
 ごはん、おでん、なすの田楽、青菜のり和え。
 おでんの登場はもしかしたら 2 回目くらいかも知れないが、理由判明の元は「なすの田楽」にあった。 当然、病院食なので味については語るつもりはない。 しかし、この理由には愕然とさせられた。 なぜなら、「なすの田楽」を噛んだ際、「歯応え」があったのだ。 そして、前歯で噛み切り、奥歯で噛み始めると歯応えに混じって「ザクザク、ゴリゴリ」という音が混ざるのである。 わかりやすく例えると「もろきゅう」を奥歯で噛んでいるのとほぼ一緒。 カリカリ感がないだけみたいなものであった。 ボクの人生の中で、炒めようが煮ようが「アタシ疲れちゃったから、もう自由にして…」みたいな感じで、「しんなり、げんなり」している歯応えなしの茄子しか記憶にないのであるが、昨夜の茄子は今までのものとは遙かに異なり、「茄子にも繊維があるところを見せてやるっちゃっ!! アタイにも意地があるっちゃっ!!」的な依怙地な性格を持った茄子であった。

 さらに、驚かされたのがおでんに入っていた「大根」である。 おでんの汁はそれなりに滲みているのだけれど、やはり歯応えに「シャクシャク、ザクザク」という音が混ざり合わされる結果となり、「味はおでんじゃけんど、いつでもわしはサラダに戻れるけんのぅ、われっ!!」と喧嘩を売られそうになったのである。 一緒にいたこんにゃくとちくわは道を逸れたものではなかったのが唯一の救いであった。

 ボクは料理をすることがないので、詳しくは判らないけれど、少なくとも「火」または「熱」は通っていると思うので作り加減によるものだろうと考えられるが、毎食出てくる「野菜達」の出来上がり方が問題であり、出来映えの固さに問題があり、咀嚼しないと飲み込めないのではなかろうかと言うことが判ったのだ。 ○○炒め、○○煮、○○漬け、○○の酢の物と何だかんだと野菜が出てくるのだが、それらが皆、このような歯応えを持っているのだとしたら、体が脳が自然に「噛まなきゃ飲み込めんけんねっ!! けっ!!」の食べ方になるのも無理はないと思うのだ。 と、理由を結論づけた。

 実際、今日の朝食も昼食も結論の裏付けで終わった。 これは、栄養士がわざと咀嚼するような料理法にしているのではないかと現在疑っているところでもあるのだ(調査は未着手)。 咀嚼は消化の助けもするだろうし、顎を動かすと脳を刺激しボケなどに良いと聞いた記憶がある。 このあたりも計算しながら献立を考えているのだとすると、忌々しい栄養士だが勘弁してやろうという気持ちも頭の片隅にはある。 ただし、1 回は、栄養士に「おしりぺんぺん」をご披露してからとは思っている。